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京都(41)

2013年9月6日

 それにしても、楽天のマー君の勢いはすごい。などと素人が野球のことを書いてみたが、今日の記事とは全く関係はない。

今日は、読書の話、英語の話、そして最近思ったことに関する話を書く。

 先日から読書ブームが来ていたのだが、読んで売ってしまえる本がなくなってしまった。あとは、読むが売らない本ばかり。

○ 知的生産の技術 著者 梅棹忠夫

○ 発想法 著者 川喜田二郎

○ 続・発想法 著者 川喜田二郎

○ インドネシア 著者 水本達也

これを読み切ったら新しい本にも手が出せる。

 英語の勉強も頓挫している。何をすれば、一番効果的かを考えているうちに時がすぎるパターンになっている。なので、ここに書くことでモチベーションを上げたい。とにかく、音を聞いて書き留めることと音を追って真似して話すことを中心にやっていこうと思う。

 先日、気づいたことを書いておく。大学における研究室というものと、今の私の生活についてだ。

今の京都大学の研究室では、約20人(数えたわけではないが感覚的にこれくらい)所属しているわけだが、休学者が私を含めて3人、よく学校に来るのは9人くらい、残りは毎日は来ない。今は夏休みであるが、大学院なので休暇中とそうでないのとでは授業があるわけでもないので、あまり変わらないと思われる。

研究室へよく来る学生が、あまり来ない学生に対して少なからず、怠惰で、頑張っていないという見方をする風潮があると感じることがある。私は、その見方には反対である。実際に、研究室にいる頻度が高いのは植物を育てている学生が多いと思う。もちろん、学会の準備をしたり、一緒に畑で作業したり、質問し合ったり、食事に一緒に行ったりする中で意見の交換や気分転換になり、新しい発想を得ることもあるだろうし、今後の人生において付き合っていける人々が増えてよいと思う。ただ、集中して何かに取り組みたいときは、研究室に行っていない自分がいることに気づく。おそらく、二年間、インドネシアで研究生活をしたことによる変化なのだろう。私が所属していたガジャマダ大学の修士課程では、日本の大学のような研究室はなく、学校に個人用の机を与えられるわけではなかった。修論や課題の作業をするなら、間違いなく家か、カフェに行っていた。家で集中力が切れたらカフェに行ったり、その逆もあった。カフェをはしごすることも多々あった。そして、気分転換には友人たちと夕食をしていた。もちろん、怠惰で研究室に来なかったり、学校に来ない上に、その時間を無碍に過ごしてしまうのは、もったいない。もちろん毎日、一人で頑張っていて、全く研究室に行かないのもよくない。周りの学生たちと会って話したり、先生たちと雑談も含め話をすることも大切だ。だから、私は毎日は研究室へ行かないが、定期的には足を運ぶ。

結局、何が言いたいのかというと、が、研究室に行くのも大切だが、研究室以外での作業効率がより高いのは確かだなと改めて感じたということ。

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これまた久しぶりの友人たちと会った。みんなジョグジャで出会った学生たち。こういうときにも貴重な二年間だったなと感じる。

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